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編集長コラム003「The Sun Is Too Bright/The Willard」
一応、アニメ情報サイトの編集長という立場にもなったので、いろいろ見たりしなくちゃなということもあり話題となっている「ルックバック」を見てきましたので、今日はちょっとその感想などを書いてみたいと思います。そんな感想のタイトルにこの曲を持ってきたところで察してほしいと思うのだけれど、まあ、自分みたいな怠惰な人間には眩しすぎたというのが正直なところだ。ネット上に蔓延る極端な二極化した考え方には否定的な方ではあるけれども、陰キャ陽キャという二極化の上では確実に陰キャ側にいるのが自分だ。また勝ち組負け組という二極化の上では間違いなく負け組の側であろう。それは貯金残高ほぼゼロという情けない現状が物語っている。そんな陰キャ負け組からするとこのルックバックは眩しすぎたのだ。ルックバックは漫画家志望者がストイックに漫画家になっていく様を描いた物語だ。原作を読んだ時点で週刊少年ジャンプという現在の日本の漫画界のトップオブトップに食いつくためにはこんくらいは当たり前という成功者側の言葉が脳裏にチラついてしまったので正直劇場版の話しがあったところで見に行くべきかは悩んでいた。常々思うが、そうした成功者の体験を元にしたところで真似して成功する人など限られている。しかしながら、いわゆるビジネス書における「俺様すげえ」本というものに人気が出るのはある意味でノンフィクションドラマであるからだろう。このルックバックもおそらくはノンフィクション要素であるところも多分に含まれているように思う。積まれたスケッチブックやデッサン書の厚みはリアルな体験談としての説得力を感じる。しかしながらあまりにも藤野のインプットの部分が薄いのだ。インプット無しでアウトプット出来るのは天才の所業である。恐らく多くの漫画家は多くの漫画を読んだり、映像作品や音楽などに影響を受けながら描いている人が多いと思う。漫画家に限らずクリエイターという人種の多くはそういう人が多い。ただこれはあくまで自分の知り合いの範囲内を観測してのことなので、もっと観測外にそうした作家さんが多いのかもしれない。その辺は正直間違っていたら申し訳ないのだが、とにかくここが一番気になった部分だ。別にリアルにした方が良いとかフィクションとして盛った方がいいとかいうところは別にして、単純に作品内で藤野のインプットが少なすぎると思ったという話なので、そこは特に要望とかがあるわけではない。もちろん、そうした部分は中々作品として入れ込みにくかったのかもしれないが、それが無かったことにより、ああ、別世界の天才たちの話ですねという思考に至ったのは確か。その後の展開などはいい形で原作をアニメに落とし込んでいたように思う。最後の方なんかも絶妙の間の取り方はお見事。実際映像作品として優秀であるのは間違いない。それは全て認めた上で、正直、自分には辛かった。
さて、冒頭のこの話のタイトルにした曲の話。The Willardは80年代インディーズムーブメントの頃にラフィンノーズや有頂天とともにインディーズ三羽烏などと呼ばれていたバンドだが、今もメンバーを変えながらボーカルのJunがバンドを率いている。この曲はThe DamnedのWait for the blackoutに対するアンサーソング的な曲だと勝手に思っている。太陽とか光とかは正義の側の存在として描かれがちだが、闇の中こそ俺達の安息の場なんていうかなり曲解した受け取り方をしているのだが、そうした曲をアンセムだと思っている身からしたらとにかくこの作品は眩しすぎた。太陽を撃ち落とせ。There is no vision here.